“毛皮を着替えて再会する日”
「亡くしたショックや悲しみは理解できるけど、それでも、良い年した大人が、ペットが死んだくらいでいつまでもグズグズと…」と感じる人が、たぶん世の中の過半数なんだろうなぁってことと、
世間体云々ではなくて、外側からの見え方はどうだって良いのですが、わたしと仕事なりプライベートなりで接する“関わりのある人たち”が、塞いだ心で落ち切っているわたしと接するのは扱いに困るだろうなぁ、という気遣いから、
“だいじょうぶ”仮面を被って、カラ元気で笑って、「元気そうで良かった」とか言われる度に、相手には何の悪気もなく、むしろ気遣ってくれてると分かっていても傷付いていたんですが。
友人から突然届いたこの子を見た瞬間、“だいじょうぶ”仮面が剥がれて、ちいさなフェルトのかたまりを抱きしめて号泣してしまいました。
てのひらにちょこんと乗るくらいのサイズのこの子は、羽夢(はむ)が我が家に初めて来た頃と同じくらいの大きさ。はむ、おかえりなさい。わたしのかわいい子。
もう、この世のどこにも羽夢は存在しないんだと頭では理解していても、
小さな子に「いつまでも心の中で生き続けてるんだよ」なんて詭弁を使うように、そして、それを受け入れて噛み砕いて、そう感じられるように、そう思えるようにコントロールしないとリアルにそこにある悲しみや苦しみを乗り越えられないように、
人は、何か拠り所を求める生き物ですね。
愚かだと分かっていても、似せて作ったフェルトの塊と知っていても、友人のやさしさと羽夢の面影に、なんとも形容しがたい気持ちになりました。おかえり、はむ。
それから、女優で、今は国内を代表するチョークアーティストになったチワワ友達の萌ちゃんから、「一番最初にはむ描いたよ!」ってメッセージと共に、こんなかわいい画像が送られて来ました。
近く、韓国で行なわれるもえちゃんの個展に連れて行ってくれるそうです。
長女の希雨(きう)を事故で亡くした時、奇跡的にその遺体と再会できた後の数ヶ月、憔悴しきったわたしのまわりには頻繁に「あ、希雨だ」ってなんとなく直感できる、ちいさくちょこまかした“なにか”が現れたのですが、
育ての母だった最愛の祖母を亡くした時にも、四十九日のお経を唱える僧侶の隣を仏頂面ですーっと歩いて消えて行く“祖母らしきなにか”を見ましたが、
祖母を亡くしてしばらくした後、盗難被害に遭って以来、長い間夢の中ですら会うことが叶わず、どんなに探しても手掛かりすら掴めなかった長男の詩(うた)が、亡くなった祖母に抱かれて「ママ、もう大丈夫だよ」って突然会いに来てくれたりしたんですが、(そしてその瞬間、何故かハッキリと「詩が亡くなったんだ」と思いました。ずっと、誰かの元で保護されてたんだな…って。)
普段は「嫌だな、見たくないな」としか感じない、いわゆる霊的な、オバケ的なアレも、愛する存在の姿だとまったく恐怖感も嫌悪感もなく、ただただ愛おしいものなんですよね。
でも、羽夢を亡くして以来、どんなに願っても、わたしは一度も羽夢の存在を身近に感じたことがありませんでした。
もちろん、わたしは何か特別な能力を持ってる訳でもないし、そもそもそれらはハッキリと目に見える「実在するもの」(定義が難しいけど)ではないので、見えない他者に「気のせいだよ」とか「願望が作り出した幻覚」とか言われちゃったら、そうなのかも知れません。
ただ、幼い頃から、そういう“なにか”を割と身近に感じながら、たまに見えちゃったり聞こえちゃったりしながら生きて来たので、多分、そういう経験のない人よりもすんなりと「在る」ってことを受け入れちゃってるんだと思います。実際どうなのかは分からないですけどね。ヒトの脳って高性能で曖昧なものですから。
まあ、でも、ともかく、見えてるし聞こえてるのに「気のせい」って言われても、見えてる聞こえてる本人は「…え、じゃあ、これなに?(今、目の前に見えてるコレ)」って、なるでしょう?だからわたしは、気のせいかもしれないし幻覚幻聴なのかもしれないけど、見えちゃったし聞こえちゃったから、そのまま受け止めてるだけ、という前提の話で進めますが。
そういう、見えたり聞こえたりする感覚が、なくなっちゃったのかな、…と思ってたのです。
あるいは、羽夢は、わたしが思ってたよりずっと大人で、優等生で、きちんと自分の死を受け入れてサクっと天国に行っちゃってて、「ママ、じゃあね〜」って感じなのかなぁ(さびしいな、でも、ちゃんと成仏してくれたならその方がいいのかな)とか、ね。
もしくは、助けてあげられなかったことを怒ってるのかな、とか。
でもね、不思議な夢を見ました。
もうずっと、目を閉じると、助けてあげられなかった、羽夢の力なく弛緩した遺体の感覚ばかりを思い出して叫びたい思いに駆られて、苦しくて、元々睡眠障害だったのが更に悪化して、お薬なしでは眠れなくなってしまってたのに。元気な羽夢は、一度も夢に出て来てくれなかったのに。悪夢ばかりだったのに。
夢の中で、わたしは、羽夢と同じようにちいさくて手のかかる、でも、羽夢とは全然毛色も見た目も違う子を、羽夢だと認識して愛していました。
明るく人の行き交う空港で、姿の違う羽夢を抱きながら、わたしは「帰ったら病院に連れて行かなくちゃ」とか言いながら、なんだか楽しそうでした。
目が覚めて、相変わらずアホ面で眠る女子たちのお尻に両方向からほっぺを圧迫されながら、ふと、
『毛皮を着替えて再会する』
愛したどうぶつ達が、もう一度生まれ変わり、姿を変えて巡り会ってくれるという、愛する子を亡くしたヒトの作り出した御伽話を思い出しました。
羽夢は、(羽夢に会ったことのある人ならご存知かと思いますが)びっくりする程、ほんとにもう、とんでもなく甘えん坊で、そしてとても優しい子でした。
肉体を失くして、以前のように甘えられなくなって、自分を認識してもらえなくなって、大急ぎで転生するためにわたしの前に姿を見せてくれなかったのなら、超納得です。
そして、そんな風に思えたら、ほんのすこしだけ、気持ちが軽くなりました。
…なんか、後半、不思議ちゃん的な更新になってしまいましたが、突然降りて来た、確信に似た「また羽夢に会える」という気持ちを、また、寂しくなったり悲しくなったり苦しくなったりした未来のわたしのために、ここに書き留めておきたくて。